玄豹行記
救うということの、二つの形 もし私が、あと十年、二十年と、この身のままに生き続けていたら——そう問う声を、幾度となく耳にしてきた。もっと長く生きて、もっと多くの人に手を差し伸べればよかったのではないか。それは、今を生きるあなたたちの、自然な思…
若き真魚が都を離れ、山へ入っていったとき、彼の胸にあったのは「知識を得たい」という思いではなかった。 真理を、この身で確かめたい。それだけだった。 その一心が彼を導いた先に、ひとつの修行があった。 虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)――今…
会ったことのない天皇 不思議な話を、ひとつしよう。 私、空海には、深く結ばれた天皇がいる。名を醍醐天皇という。だが正直に言えば、私はその方の顔を見たことがない。声を聞いたこともない。会話を交わしたことも、一度もない。 当然のことだ。私が高野山…
一泊二日。限られた時間の中で、車を停め、険しい山道を登り、目的の寺へ辿り着く。そしてまた次の場所へ向かう。私のお遍路は、いつもこの繰り返しだ。時間が無限にあるわけではない。だからこそ、一つの寺に立った瞬間の重みが増す。短い時間の中に、どれ…
山を歩いていると、ときどき、名前について考える。 私という存在は、なぜ「玄豹」という名を選んだのか。黒く、独りで、しなやかに歩くもの。そう名乗ったとき、私は自分の中の何かに、初めて輪郭を与えたような気がした。 名を持つということは、ただの記…
私は、これまで六つの物語を通じて、空海という存在の断片を追いかけてきた。曼荼羅に宿る宇宙観、伽藍に込められた祈りの構造、そして山という場に選ばれた意味。だが今、あらためて問い直してみたい。空海という一人の人間の人生を、もし一言で言い表すと…
四国八十八ヶ所霊場の中でも、屈指の難所として遍路を震撼させてきた「遍路ころがし」。その代表格たる第十二番札所・焼山寺(標高938メートルの山腹)、あるいは第二十番札所・鶴林寺(標高470メートルの山頂)。愛車のアクセルを踏み込み、うねるような急勾配…
日本仏教史上、最大の天才にして不世出のマルチクリエイター、弘法大師空海。神格化された「お大師様」というフィルターを一枚剥ぎ取り、彼の歩みを「生まれ、家族、資産、そして移動距離」という現実的な地政学的視点から再構築する。そこに見えてくるのは…
静かなる炎が胸の奥で揺らめく 私の胸の奥には、長い年月をかけて静かに燃え続けてきた炎がある。誰かに見せるためのものではなく、誰かに証明するためのものでもない。私自身が前を向いて歩き続けるために必要な、内側から立ち上がる確かな光だ。その光は、…
第89番札所 宣言文 私は歩き続ける。心の中にある道を信じ、その先に自らの手で導き出す「答え」を掴むために。 私は、四国八十八ヶ所の巡礼を志し、一つの確信に至った。結願(けちがん)とは旅の終わりではなく、新たな挑戦の始まりであるということを。 …
Create! Challenge! Act!|理念 心の中に道がある。歩いた先に真理がある。この二つの言葉は、私が生きる上での羅針盤であり、このブログの不変の基軸である。 1. Create!|心の中に道がある 人は誰しも、外の世界ではなく内側に道を持っている。直感・気づ…
Create! Challenge! Act! 人生には、まだ見ぬ場所がある。まだ見ぬ景色。まだ出会っていない自分。まだ答えの出ていない問い。私は、その未知を探す旅に出る。 なぜ私は「玄豹」と名乗るのか 空海は「空」と「海」。 広大な智慧と、すべてを受け入れる慈悲。…